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高浜の名前の由来の伝説

高浜の名前の由来     ①専修坊   ②蛇抜け伝説


③終列車の娘          ④きつねの恩返し

⑤きつねとすもうとり            ⑥青木の火の玉


⑦鴨ヶ橋              ⑧呉竹の井戸



(追補)高浜川の竜燈伝説

































































































高浜の名は、
   衣浦湾岸に高い崖を持っていることに由来しています。




















































































①専修坊

 しだれ桜、松、イチョウなど緑いっぱいの木々の中に歴史をつなぐ専修坊があります。
今朝は、おばあさんといっしょに来た、せん子ちゃんもお経をおそわっています。
(せん子)「おばあさんとお経をよんでいると、たのしいねえ。」
(ばあ)「おばあさんもたのしいよ。何回も練習しようねえ。」
(せん子)「はーい。おばあさん、このお寺は古くって大きいねえ。」
(ばあ)「そうだよ。おばあさんが昔の話をしようかねえ。このお寺は古くからあってな、今から千年以上も前から続いていて、お宝もたくさんあるんだよ。」
おばあさんは、せん子ちゃんに自分が知っているお宝の話をすることにしました。
(ばあ)「昔、浄土真宗を開かれた親鸞上人さんという偉いお方がいてな、そのお方の御影があるんだよ。なんまんだーなんまんだー仏様の御心のままにだよ。」
(せん子)「なんまんだーなんまんだーおばあさん上手に言えたでしょう。」
せん子ちゃんは、もっともっとお話が聞きたくなりました。
(せん子)「おばあさん、今度はどなたのお話をしてくれるの。」
(ばあ)「そうだね。このお寺の二十一代(1436年)の知顕 んのころ蓮如上人がおいでてな、三河土呂の本宗寺、西端 応仁寺、油ガ淵を船で行き来し、高取地方を何度も往復したそうだよ。」

(せん子)「蓮如さんもすごい偉い人なんだよね。」
(ばあ)「そうだよ。二十二世渓玉さんが蓮如さんの弟子と り忠節を尽くされたということだよ。そしてな。このころ 、高取村は百軒くらいしかなかったんだよ。」
おばあさんは、本堂の南側にせん子ちゃんを連れていきました。
(ばあ)「この石碑はな、ここに蓮如さんがお立ちになって田植えの様子を見られて、お百姓さんの労をねぎらい六字名号(南無阿弥陀仏)を書いて村の人たちに下さったということだよ。今もそれを大切にもっている家もあるんだよ。」
(せん子)「昔、蓮如さんに会えたお百姓さんは、よかったねえ。おばあさん、次は誰の話をしてくれるの。」
本堂に戻ったおばあさんはせん子ちゃんに今度は家康のことを話しました。
 家康は桶狭間の戦いの後に亀崎より船で高取村に入り、この寺に寄られました。その時にここでいろいろお世話をしてあげたので、五石をいただいたという話をしました。」
広い本堂を見ながらおばあさんは手をあわせました。
(ばあ)「ここは三十四代住職さんのとき(1841年)に建てられたんだよ。そのころはみんながお参りするところ(下陣)の柱は丸い柱を使ってはいけなかったんだね。ところがそのときの住職さんは大きな丸い柱を使ったので、きまりを守らなかったということでよその寺に出られたんだそうだ。」
(せん子)「なんか、かわいそうだったね。」
そしておばあさんの話はまだまだ続きます。
(ばあ)「三十六代(
1835~1873年)法沢さんの時だったよ。明治維新のとき、神仏分離政策によりお寺をやめさせる問題が起きてな、それが大浜騒動となってな、大変悲しい話があるんだよ。」
(せん子)「大浜騒動の話もききたいな。」
(ばあ)「じゃあ少しだけ話してみようかな。」
大浜騒動にかかわったこのお寺の星川法沢師。それは、このお寺にとって大変悲しいお話なのでした。
(ばあ)「政府のやり方に反対した門徒衆や村人たちが、興奮して役人と騒動を起こしてしまい、このお寺の星川法沢師たちが牢に入れられてきびしい調べをうけたらしいよ。」
とおばあさんは、せん子ちゃんに話しました。
(せん子)「おばあさん、かわいそうな話だね。牢屋に入れられた人たちはどうなったの。」
(ばあ)「そのころの牢屋はひどくってな、体をこわして眠れなかったんだろうなあ、牢で死んでしまったそうだ。村の門徒衆の中にも罪を受けた人もいるんだよ。法沢師やほかのお坊さんもとても残念だっただろうね。でも、その後罪はとかれて公のために働いたことが認められて、法沢師は立派な法名(法忠院釈勇精)をもらわれ、村の門徒衆も政府から褒章をいただいたんだよ。」
そこまで話すとおばあさんとせん子ちゃんは山門をくぐって家に帰りました。
 その後何の因果かあの大浜騒動で大浜に陣屋があった菊間藩のはかま付山門がこのお寺に移築されたそうです。長い歴史をもつこの専修坊は多くの人にささえられこれからも生き続けて歴史をつないでゆくことでしょう。

      








































































②蛇抜け伝説

 
むかし、吉浜村の高平というところに、長者が住んでいました。
長者にはたいそう美しい娘がいて、長者は目の中に入れても痛くないほどかわいがっていました。
 娘はだんだん成人して、ますます美しくなり、あちらからもこちらからもお嫁さんにほしいと申しこまれましたが、娘は、どうしてもお嫁にいくのはいやと、首を横にばかりふっていました。
 長者は、娘にそのわけを尋ねましたが、娘はなかなかそのわけを話してくれません。
 娘には好きな男の人がいました。その人は立派な身なりでやさしく、毎夜毎夜娘の部屋に通ってきていました。
 娘はある日、乳母にだけそのことを話しました。おどろいた乳母は、さっそく長者に告げました。長者もたいそうおどろき、大切な娘が好きだというなら結婚させてもやろうが、その若者はどこのお人だと娘に聞きましたが、娘もどこの人か知りませんでした。
 長者はすっかり心配になって、「今度あったときには、きっと聞いておきなさい」と娘にきつく言いました。
 娘は言われたとおり、若者に尋ねましたが、若者はやさしくほほえむだけで答えませんでした。
 娘の口から若者の住む所も名前も聞きだせない長者は、ある日、木綿針に糸を通し、若者の着物のすそにぬいつけておくようにと、娘にいいつけました。
 夜明け近く、娘の部屋から若者が帰ると、長者は一すじの木綿糸の行方をつけて行きました。糸は娘の部屋の欄間をとおって、軒先に出て、月の光で明るい野道にのびていました。
 長者が糸を追って竜田の川ぶちまでくると、急に糸が乱れからまっていて、一匹の大蛇がのどに針を突出てて苦しんでいました。
 長者はそれを見ると、ああ、と嘆き悲しみました。そして、ふたたび姿を見せるなよと、のどの針を抜いてやると、大蛇は衣が浦の海の上をわたって、対岸の生路村の方へ行きました。
 蛇抜けとよばれるようになったところには、海をいつまでもみつめる娘と、娘を見守るように立つ長者の姿が、やがて光りはじめた朝日に染って、いつまでも立ちつくしておりました。

  































































③終列車の娘

 
名鉄三河線が、まだ三河鉄道といって、蒸気機関車が走っていたころです。
 高浜から刈谷まで走る終列車には、きっと美しい娘さんが一人だけ乗っていると、若者たちのあいだでうわさされました。
 それを聞いたもの好きな若者が、さっそく終列車に乗りました。たしかにうわさの通り美しい娘さんがたった一人、客車のすみに座っています。
 若者は近寄ってとなりの席に座り、話しかけようとすると、娘さんがいません。びっくりした若者は、きょろきょろ客車の中を見まわすと,若者が座ったところから一番遠いところに娘さんは座っていました。
 変だなあ、と頭をふりながら、また若者が娘さんの座っているところに近づくと娘さんの姿がぱっと消えて、また若者から一番遠いところに座っていました。何人かの若者たちが終列車に乗りましたが、娘さんのそばに座ったものは誰もいませんでした。
 暗いカンテラを灯した列車に、きつねが化けて乗っているのだとみんながうわさをするようになりました。

     































































④きつねの恩返し

 
むかし、高浜の大山にきつねが住んでいました。
ある日、子ぎつねが畑の肥だめに落ちました。
 親ぎつねが助けようとしましたが、なにしろ深い肥だめだったので、手がとどきません。
 子ぎつねはくさい肥だめの中へずぶずぶ沈みはじめました。
 親ぎつねはコーンの悲しい声をあげました。
 近くの畑にいたお百姓さんがその声をきいて、かけつけてきました。
 いつもなら人が近づくと姿をかくしてしまうのに、親ぎつねは逃げようともせず、じっとお百姓さんの顔を見て、またコーンと鳴きました。
 お百姓さんが肥だめをのぞいて見ると、子ぎつねが沈んでしまうところでした。
 かわいそうに思ったお百姓さんが、肥柄杓で子ぎつねをすくい上げてやり、近くの川の水で洗ってやりました。
 それから何日かたちました。
 お百姓さんのお勝手の水がめの中に、一匹の大きなボラが水をはねていました。
 はて、誰が留守のうちにくれたのかなと、となり近所の家でたずねましたが、どの家も知らないといいました。
 これはきっと、きつねがくれたんだろうと、お百姓さんは近所の家にもおすそわけをしました。

       





























































⑤きつねとすもうとり

  むかし、森前の秋葉神社の裏の森に、きつねが住んでいました。
お風呂に入れてもらおうと、近くの家へ出かけた太郎作がなかなか帰ってこないので、家の人が探しに行くと、畑の肥だめに入って「いい湯だなあ」 と鼻唄をうたっていました。
きつねにだまされていたのは太郎作だけではありません。
村では何人も何人もだまされていました。
「おらならだまされんぞ、こういうふうに、きつねの首の根っこをぎゅうとつかまえてな、肥だめに突き落としてやるわい」
村一番の力持ちですもう取りの男が、首の根っこをつかまえたように、両手の指を鷲の爪のように曲げて力を入れると、ぼきぼきと指が鳴りました。
「ヒャー、あんな大きな手でつかまえられては、ほんとに首の骨がおれてしまうわい」太郎作は、思わず首をすくめました。
 夜になって、すもう取りは、きつねの出る秋葉神社の方へ歩いていきました。
「おすもうさんよ、こんなに遅くどこへおでかけじゃえ」野道ですれちがった和尚さんが声をかけました。
「へぇ、わるいきつねが出るからのん、とっちめてやるつもりだ」
「そうかえ、気をつけて行かっしゃれよ、きつねはなかなか悪がしこいからのう」和尚さんは、おすもうさんの肩をぽんとたたいて、
「しっかりやりなはれ」 とはげまして行きました。
「そうだ、和尚さんの言うとおり、きちねめは悪がしこいから気をつけにゃいかん、でもさ、おらあだまされんぞ、首の根っこをぎゅうとつかまえて、肥だめの中へ突っ込んでやろうわい」
おすもう取りは、近くの大きな肥だめのある畑に入って、肥柄杓でかきまわしました。くさい匂いがぷんぷんとします。
「これならきつねめも閉口するやろ」 おすもう取りはまたくるくるとかきまわしました。
・・・・・・・・
「おい、おすもうさんよ、なにしておいでじゃ」
おすもうさんは答えました。
「きつねめを、ここへ落としてやるのじゃ」太郎作は,「アッハッハッ」と大声で笑いました。
「なにがおかしいんじゃ」おすもう取りは、むっと怒った顔をしました。
でも太郎作のわらいはとまりません。
「おすもうさんよ、よう目を開いてみなされよ、お日様が、もうあんなに高いぞえ」といいながらも、太郎先は笑いつづけました。
おすもう取りは、一晩中肥だめをかきまわしていたのです。
おすもう取りが、野道でであった和尚さんは、きつねでした。

              












































































































⑥青木の火の玉
  むかし、青木(高浜小学校のあるところ)にあった古い塚のそばに、一本の大きな榎が立っていて、青々と葉をしげらしていました。このあたりを、人々は青木とよびました。
 この青々と葉をしげらしている榎のところから、高取村の近くまでひろがっていた油ヶ渕のきらきら光る水面が、ずーっとよく見えていました。
「そーら、油ヶ渕に火の玉がとぶから、もう家に帰ろう」
夕ぐれになっても、遊びに夢中でなかなかかえろうとしない子供たちに、おばあさんが言いました。
夜がやってきます。遠く油ヶ渕の向こう岸あたりで、右から左へ、左から右へと、火の玉が動きました。
「そーら、火の玉がでたぞ」
子供たちが大声で叫んで、油ヶ渕の方を指さしました。
遊んでいた他の子供たちも一せいに立ち上がり、
――――火の玉ぶらぶら、火の玉ゆらゆら
声を合わせながら、帰りはじめました。
すっかり暮れた油ヶ渕の向こう岸を、誰かがちょうちんを灯して通るのでしょう。
右へ、そして左へ動いてゆく灯りは、火の玉のようにみえていました。

       



































































⑦鴨ヶ橋

  むかし、弘法大師が、富士権現へ参詣された帰りに、高浜へ立ち寄られ、いまの五十(ごとう)の市場あたりまでこられたとき、
青々として底の知れない川の前に立ち止まられました。
川には橋がなく、これ以上進むことができません。
 そのとき、夕暮れの空の一角戸はザァーッと羽音をたてて、たくさんの鴨が舞い下りてきて、つばさを連ねて浮橋を作りました。
弘法大師は、鴨が作った橋をわたって、対岸に渡ることができました。
しばらく歩いて行くと、椋の大木があって、夜ともなったので、ここで一夜を明かそうと休まれました。
 夜明け近くになって、弘法大師の前に薬師如来がお立ちになって、この地にお寺を建てるように言われたかと思うと、輝きはじめた雲の中へすーっと消えてゆかれました。
 弘法大師は、薬師如来の消えていかれた雲を長い間みつめておられました。
金色から赤色へ、そして空全体が明るくなってくるのを見て、如来の尊いお姿を村の人々にも見せたいと、椋の大木を切って、三尺(一米)あまりの仏像を刻み、そこに大きな寺を建て、鴨橋山医王寺薬師寺と名づけました。
 その後、薬師寺は兵火のため焼けてしまいましたが、後に再建され、現在は連乗院の下寺となっています。

           






















































































⑧呉竹の井戸

 
切り立った海岸は、白い波が押し寄せては砕けていた。このあたりは入り江の奥で、反対の西の低い岸辺が近くまで迫っていて、北に行くにしたがってさらに狭くなり、河口になっていた。
「水を積み込んで、漁にいくぞ。」漁師の長老が、まわりの船の漁師たちに呼びかけた。
 漁師たちの漕ぐ舟は、切り立った岸辺に向きを変えた。高い岸の上には、お寺の屋根が見えていた。岩場の岸には水の流れがあり、その源は崖の岩の割れ目にあった。
「あいかわらず、うめえ水だ。」
 岩から吹き出た水を両手に受け、漁師たちは次々に飲み干した。どんぶりやお椀で飲む者もいた。「さあ、はよう水をくめ。水桶にいっぱいになるまで、どんどん入れよ。」
 いくつも飲む水桶に、ひしゃくやお椀で次々に水を汲み、いっぱいになると舟へ運びこんだ。
「さあ、出かけるぜ。」
何そうもの舟は、いっせいに漕ぎ出した。何日もたった。
 「大変だ。岩の水が出ていない。こりゃどうしたことだ。」
見つけた漁師は、港に行き知らせた。
「こりゃ困ったことだ。確かめに行こう。」みんな舟で水場にやつてきた。水は止まっていた。わずかに、崖の下の低い石の間から、水が出ていた。「これじゃ、水はくめやしねえ。」「どうしたらいいか、知恵者の和尚さんに聞いてみよう」
 さっそく、お寺の和尚さんもきた。「ここを掘ってみるか。そうすりゃ水が出るかもしれんぞ。」和尚さんはそう言った。漁師ちは、皆んなうなずいた。「そうだな、そこへ大きな土管でも埋めておくか。」漁師のひとりが言った。
「井戸を掘るっていうことか。」長老の漁師が言うと、さっそく井戸を掘ることになった。やがて井戸には澄んだ水がたまり、漁師たちが再び使うことができるようになった。
 お寺の竹藪に囲まれた井戸は、和尚さんのお茶の水にも使われ、茶室『呉竹庵』と命名していたためか、この井戸を『呉竹の井戸』と呼ぶようになった。

 





































































































(追補)高浜川の竜燈伝説

高浜川の由来は地名の高浜であり、高浜は文字通り
高くなった砂浜を意味する。 
油ケ淵はかつて蓮如池や大池などと呼ばれ、村によ
って呼称がまちまちだったが、竜燈伝説から油ヶ淵と
呼ばれるようになったという。
この伝説によると、現在の碧南市にある応仁寺の前
に親孝行な息子と子煩悩な母親が二人で暮らしてい
たが、ほかに身寄りもなく家は貧しいため、淵に漁に
出た船の目標となる燈火を 点じることができなかっ
た。しかし、ある日から漁に出た日には岬に明るい燈
明が輝くようになったという。
淵の神様が母子のために油を買って燈明を灯したの
だろうと言い伝えられ、この淵は油ヶ淵という名で呼
ばれるようになった。

                 
(追補)
朝鮮川の由来
文禄・慶長の役、の際に連行された土木技術者が開
削に従事したためとする説があるが、室町時代にこ
の付近の城砦を攻略した土豪の軍船(朝鮮丸)の船
名にちなむとする説もある。
なお、西尾市吉良町にも同名の河川がある。